道徳を守ってるだけでは思考停止な人間なのか。
「どうでもいいことは流行に従い、重大なことは道徳に従い、芸術のことは自分に従う。」
有名な言葉らしい。私は今まで知らなかった。
道徳というと、日本では「学校」と「道徳授業」のごとく、
なぜだか「学校教育」の話とリンクさせたがるのが常なんだろうな。
もっと世間一般の道徳、社会全般における道徳は何だろうという
広範囲における道徳の意義について検証することなんて
今の日本ではしないのだろう。しないというよりかできないようだ。
道徳とは法律ではないのだから、破ったところで罰を受ける
概念とは分離されてるかと思える。だが、道徳から外れたことをすれば
世間という赤の他人からバッシングされるし、特にこの国では
恥というものを気にしすぎて、道徳を破る=恥ずべき行為の方程式が
成立してる気がしないでもない。普段の生活の中で
私たちは道徳を必要以上に気を使い過ぎて、金縛りにあってる。
自己を確立して、自立した一人の人間でいるのか。
道徳をわかってない私たちが子供に何を教えられるのか?
せいぜい「これはルールなんだからあなたたち生徒も守りなさい」
それを言うだけで教師は限界を迎えるように思える。
教師としての立場もズタズタになって、教壇から降ろされるだけだ。
私も道徳というものには不勉強で、説明することもできない。
あなたたちも道徳を論理的に説明せよという問いを出されたら
ほとんどの連中がお手上げ状態で手も足も出ないんじゃないのか。
道徳とは守るべき規範なのか。何のための道徳なのであろうか。
なぜ道徳というものができたのか。子供と大人のどちらが
道徳をしっかりと確立してるのか。道徳とは誰がそもそも作ったのか。
道徳とは、価値観とは、誰から教わってどんな機会で知ることが
できようか。さっぱりわからない。