道徳を守ってるだけでは思考停止な人間なのか。
「どうでもいいことは流行に従い、重大なことは道徳に従い、芸術のことは自分に従う。」
有名な言葉らしい。私は今まで知らなかった。
道徳というと、日本では「学校」と「道徳授業」のごとく、
なぜだか「学校教育」の話とリンクさせたがるのが常なんだろうな。
もっと世間一般の道徳、社会全般における道徳は何だろうという
広範囲における道徳の意義について検証することなんて
今の日本ではしないのだろう。しないというよりかできないようだ。
道徳とは法律ではないのだから、破ったところで罰を受ける
概念とは分離されてるかと思える。だが、道徳から外れたことをすれば
世間という赤の他人からバッシングされるし、特にこの国では
恥というものを気にしすぎて、道徳を破る=恥ずべき行為の方程式が
成立してる気がしないでもない。普段の生活の中で
私たちは道徳を必要以上に気を使い過ぎて、金縛りにあってる。
自己を確立して、自立した一人の人間でいるのか。
道徳をわかってない私たちが子供に何を教えられるのか?
せいぜい「これはルールなんだからあなたたち生徒も守りなさい」
それを言うだけで教師は限界を迎えるように思える。
教師としての立場もズタズタになって、教壇から降ろされるだけだ。
私も道徳というものには不勉強で、説明することもできない。
あなたたちも道徳を論理的に説明せよという問いを出されたら
ほとんどの連中がお手上げ状態で手も足も出ないんじゃないのか。
道徳とは守るべき規範なのか。何のための道徳なのであろうか。
なぜ道徳というものができたのか。子供と大人のどちらが
道徳をしっかりと確立してるのか。道徳とは誰がそもそも作ったのか。
道徳とは、価値観とは、誰から教わってどんな機会で知ることが
できようか。さっぱりわからない。
誰も知らないブログを発掘するのが楽しい
はてなブログでも読者が100人、1000人規模になるブログは当然面白くて読んじゃうし、気に入ったら読者登録しちゃうんですけど、たまにめっちゃ面白いのに誰も読んでないのか発掘されていない「お宝」のようなブログがあるんですよね。そういった記事を見つけるのもブログを読む楽しみじゃないかと考えてます。
すげー良く書かれてるなぁ。エピソードも交えてストーリー仕立てで展開されてるし、文才だなと感慨深く読んでると、そこにはあまり反応がないことも多いんですよね。何の差なんでしょうか。有名なブログはどんどん有名になっていく。知名度の上がらないブログは一向に読者が付かないといった不思議な流れがあるように感じます。まあ興味のあるテーマを追いかけたいということで、そこから派生されていけばさらに面白いんじゃないかなとブログを楽しく活用していきたいですね。
おすすめレコメンドで流れてくる記事を読むのが多かったですね。だけどこれからはこれが知りたい。もっと掘り下げたいと興味のあるテーマに絞って関心のある記事を中心に探していけたら使い方としてベターかな。Twitterよりはやはり日常生活で活かせる内容の話があちこちに転がってると精度の高さでいったらブログの方だと感じてますので、もっとアクティブに使っていかなければ勿体ないよなという気がしますね。
'90年代の音楽が私たちに残したものとは
このはてなブログの記事を書いてる2020年の2月2日。YouTubeの音楽チャンネルで、数多くのヒットナンバーを順不同で楽しんで聴いている。更にPCに取りこんだばかりの好きなバンドのアルバムをヘビロテしてメロディーを口の中でキャンディーを転がすように味わってる。どうしても音楽を、昔の思い出とリンクさせちゃうのだが、改めて聞くとキャッチーでいい曲ばかり。いつも聴いてるのは当時のミリオンセラーを連発した'90年代を彩ったシングル曲が多い。
多くの音楽リスナーがコメントしてると思うけど、'90年代を大ヒットと共に駆け抜けた様々なミュージシャンたちは、音楽史に残る「特別な存在」だったんだなとおっさんになった今も感じてる。1990年代では多くの若者の心が荒れてたし、わけのわからない非行に走った女子中高生も出没したりと、路頭に迷う人々がさまようなどして、みんなが孤立し始めた時期だった。暗い世相の世の中で、ラジオ番組やドラマや音楽番組から流れて来たメロディーに、いつも寄り添ってくれて歌に励まされたことも子供も大人も世代を超えてあったはずなのだ。
当時の音楽プロデューサーやミュージシャンには、エネルギーに満ち溢れた音楽をいっぱい産み出してくれたし次世代の21世紀の私たちに色褪せない作品を残してくれて、本当に本当にありがとうございました!と感謝してもしきれない気がする。それくらいの業績を彼らは後世に残したんだろうなと思ってる。別に、全くプロの音楽ライターじゃあるまいし、物書きでもない。ただのド素人でにわかな音楽好きの俺が、10代の多感な時期に、ジュディマリやグレイやスピッツなど、リアルタイムで彼らの名曲に触れられたのは、タイミング的にこの世に誕生した年代と偶然が重なったから出会えたわけであって、彼らと同じ時代に生まれることができて、本当に幸せな体験をしたんだよなと考えたりだとか、環境的に思ってたより実際は恵まれてたんだってことに、後から気づかされたりしました。閉鎖的に気分が塞ぎ込んだり辛いことももちろんいっぱいあったんだけど、そればっかりじゃなかったよなってね。音楽は最高の娯楽だなと毎日の生活で感じてます。はい。
テキストマイニングで「コロナウイルス」について調査してみた。
危機感を持って対応出来てる
— 雪 (@rrribb0n) 2020年1月26日
うらやましい。
愛知にも感染者がいるようで脅威すぎる😭
通勤で多くの人と接触するから怖いよ
息子くんまで到達しないで。
「GMO 新型コロナウイルスの感染拡大に備え在宅勤務体制へ」 https://t.co/gGOZTMWEiB
コロナウイルスのせいで眠気とんだわ、武漢で生物兵器の研究所から漏れ出たやら、政府は2000人と公表してるが医者の推測では感染者は9万人いるやら、愛知にも感染者が出るやら
— Reigy monaka (@Monakastick) 2020年1月26日
最後にあの人の言葉を借ります
中国人全員㊙ね!
ほんとにコロナウイルス怖いんだけど…やだあ死にたくない🥺明日からちゃんと一日を大事にしよう…あとマスク…
— あおまるる@固ツイをチェックじゃああ! (@aopoko_0407) 2020年1月26日
上記のようなキーワードが見られました。冬の間に収束してくれればいいんですけど、今回は今までと違うような気がする。
明日から電車通勤も始まりますし、どうなることやら。学校や病院でも広がる可能性ありますもんね。
国産SNS@meetに登録してみた。
昨年2019年に国産のSNSがこっそりと誕生していたことをご存知の方はほとんどいないのではないだろうか。ネットで検索してもmixiくらいしかヒットせず知るきっかけが限定されていたからだ。私の場合は運良くTwitter経由であるwebサービスの存在を知り、信用性も高そうで、正統派のソーシャルネットワークの期待感も高まり、興味津々になった流れで、当初はお試し感覚で登録してみようと決めた。
入部したソーシャルネットワーク「@ミート」は「アットホームな雰囲気」をコンセプトに掲げた、居心地がいい空間をモットーにして運営している。サイトにいると、ゆっくり時間が流れていく余裕のあるシステムとインターフェイスになっており、「なんで今までこんな場所がなかったんだ」と決して派手なデザインでもないし、はっきりいってしまえば地味なUIで、物足りなさも当初は感じてたのは本音ではある。まだまだこれから改良を重ねて進化の一途を辿っていく可能性を含んだ、出来たてほやほやの新しいSNSのリニューアルの瞬間に立ち会うことができたのだった。
ちなみに登録ユーザー数は今日の時点でようやく200人に到達したばかりです。少しずつ定着しつつあるようで、毎日ちょっとずつツイッター以外のサービスを求めていたネット民がこのサイトに集まってくるようになりました。
投稿数もまだまだ少ないのが現状で、活気があるとは言い難い現状ではあります。使ってみて最初に感じた点は、ツイッターよりフォロー外のユーザーにコメントを送りやすいという大きなメリットがありました。投稿を見られる相手の範囲も選択できる自由があり、マストドンのシステムと似ている要素もあって、とにかく時間をかけてサービスの準備をじてきたんだな。「手作り感」が満載の温かい印象を持ちました。すてきだなって。
単なるツイッタークローンであるならば、他のサービスとの差別化に失敗して、流れに乗らないままサービスが終わってしまうパターンになってることでしょう。しかし、ツイッターの要素に「プラスワン」の工夫を加えた遊び心がふんだんに取り入れられております。
話がちょっと長くなりました。興味のある方はぜひ訪れてみてくださいね。
サイトへのリンクも貼っておきますので。こちらからどうぞ
一つのことを最後まで続けるとはどういう状態なのか
私は飽き性で趣味といえるほどのものも持ってない。デジカメをもって風景や花の写真を撮ることが大好きだが一年365日やってられるわけではない。とにかく飽き性なのだ。ブログを書くことだって途切れ途切れだしね。だから余計にわからなくなる。
「ひとつのことを続けるとは何を指すのでしょうか」という個人的なテーマです。もう結論から言ってしまえば三日坊主の繰り返しでいいじゃんって思っちゃうんですよ。例えば一日置きに、月、水、金、だけ頑張ってなにかに取り組むということを例に挙げてみる。ダイエットにしろ一週間、毎日7日間走り続けるのを計画として上げるのは少し無謀で最後には挫折するのは目に見えてるんだから途中に「休養期間」を挟んだってええじゃないか!??ってことを申し上げたいわけです。
ペース配分の問題だと要は考えるわけです。人それぞれのペースがあり、花が10年経ってから開花する人だって才能でいえばあるのだから。のんびり屋で怠け者のわたしは3日坊主の周期を積み重ねて物事のルーティンをこなしていきたい。そう思ってます。人生はマラソンですもんね。
全く話は変わりますが、なんとか年越しができそうですね。もう無理かもしれないと思ってたのが、ちょっとずれた形となりました。それだけでもうれしいです。覚悟していたのでね。ではではまだ早いんですが良いお年を、2020年のスタートをお迎えください。読んでくれた方ありがとう。
無料版だと3記事までしか書けないのでしょうか?
はてなブログでは無料版ですと1アカウントにつき3ブログまでという制限が
あるらしいのですが、それはどういうことなんでしょう?
今、この記事で3つ目の記事なんですが、もうこれ以上のブログは更新できないルールになってるのでしょうか。どうもわかりません。
Pro版だと10ブログまでということなのですよね。あれれ。ブログの数が10記事まで
しか書けないってお話なのかな。いまいち意味がまだわかってないんですね。