takataka01’s blog

しょーもないネタをUPしていきます(*∩ω∩)

わからないって次元そのものがわからない。

わからないことが減ることがなく、むしろ増えていく。何かを知る機会があればそれに付随する形で「これもわかってなかった。あれもわかってなかった」と発見する機会があるわけで、わかってないことは無数にあることを受け入れざるを得ないというか、無知の領域なんて規定できるものじゃなくて、境界線自体、あいまいなものなんだなと感じてしまう。また、わからないことを解決してたった一つのことができるようになったというのが成長であり、物事の上達なのだが、それは同時に「自分はこんな基本すらできてない段階だったのか」という恥や屈辱からスタートしなければいけない立場なのが、初心者というやっかいな存在である。わからないことをわからないままにしておいていいのかという個人的な命題に近いものもある。「いつか」わかればいいんだよとアドバイスをくれる身近な先生がいても、その助言は真に受けていいのか、最近は疑問を持つようになった。人間には寿命というものがある以上、時間は有限なもので、遠回りし過ぎれば、おじいちゃんになり、浦島太郎じゃないけど、周りにどんどん置いていかれて、「手遅れ」という事態だってあちこちで起こっている社会問題にまで発展するからだ。自分の知りたい専門分野に長けてる人がヒントや取っ掛かりになる手助けをちょっとしてくれるだけでも、10年解決しなかった問題が、たったの1日で解消してもられることだってあるんじゃないかということ。今の時代は他人同士の生のつながりが途切れてしまったので、身近な恩師がパートナーとして面倒を長期間、見てくれるケースはもうよほど恵まれてる運の良い環境にいなければ、孤立無援の状態で最期を迎えるまで生活を送ることも非情だが、あちこちでもう起こってしまったわけであって、何をおまえは言いたいんだ??ってツッコミが入りそうな、何のまとまりもない文章になってしまったが、「わからないを放置していいよ」は本当にそうなのか? もっと親身になって助言や手を差し伸べてくれる大人がいなければ、自力では無理な弱者?だってたくさんいるのではないだろうかという話をしたかったのかな。甘えなのだろうか。良い師匠に出会いたかったし、まだチャンスと時間があるのなら、手順を踏んで、何か一つのことをできるまでにさせるテキストや教材が欲しいし、けれど経済的な事情があり、断念してしまったり。年齢に関わらずもったいない人達が埋もれてしまっている。